2月17日は、「東山道を歩こう」の15回目でした。今回は大和町の黒川神社からヨークベニマル大和吉岡店辺りぐらいまでを歩きました。このヨークベニマル辺りに、奈良時代から平安時代にかけて存在していた黒川郡衙(ぐんが/吉岡東官衙遺跡)があったことが、最近の発掘調査で明らかになってきています。ちなみに郡衙とは「郡の役所」のことです。郡は国郡里制(のち国郡「郷」制へと変わる)の中の郡、今でも宮城郡とか黒川郡とか、県の下の住所に引き継がれていますが、その元となった制度です。今回はそこまでの行程です。
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まずは黒川神社を出発。この神社は、源義家や黒川氏・伊達氏などの尊崇を受けた由緒ある神社です。といっても、元々は神社ではなく仏堂でした。明治の廃仏毀釈で神社になった経緯があります。今でも拝殿の奥にはお堂があって、そこに秘仏の薬師像が安置されているそうです。昔は60年に一度、今は30年に一度ご開帳されるそうが、30年でも長いので「いずれ10年にしたい」と偶然お会いした宮司さんがおっしゃっていました。


ここから東北自動車道の高架下をくぐり、宮ノ沢溜池というところで石碑群を見つけました。「大神宮」「湯殿山」「庚申塔」などの石碑がありました。今回も道標マニアのWさんが詳しかったです。


坂を下りて、ゴルフ場の脇を抜けると、観音堂と呼ばれる集落があります。昔の地図を見ると、ここに神社のマークがあるので、神社や寺院のありかを確かめたかったのですが、残念ながら柵で中に入れず見れませんでした。地元の方に話を聞くと、今でもここにはお堂があり、毎年契約講の行事で訪れているそうです。


ここから下草(しもくさ)という地域に行くと、鶴巣城(つるすじょう)と呼ばれる戦国時代の黒川氏の居城がありました。奥州仕置き以降は伊達氏の居城となりますが、江戸時代になって仙台に居を移した伊達政宗が奥州街道の整備を始めると、下草の地理的な重要性が減じ、城を下草から吉岡に移しました。詳しくないですが、これをもって廃城となったと思われます。ここは葛西大崎一揆鎮圧のために、伊達政宗と蒲生氏郷が落ち合った場所です。山頂からは、大和町の田園風景と七ツ森や船形山などの山容が見られ、当時の眺めは格別だったでしょう。今は木でさえぎられてしまっていますが、春になれば桜も咲き、気持ちよくピクニックができそうです。城域には八幡神社と民家の間の脇道を登っていきます。




山を下り、左手に七ツ森や雪化粧をした奥羽山脈を眺めながら、田んぼが広がる道を北上すると、下草城や舞野の観音堂がありました。下草城は鶴巣城の平時の館だったと思われるところです。コの字型に堀がめぐらされているのが特徴です。竹林川から水を引いていたと思われ、この川もまた天然の堀として利用されていたのでしょう。また、舞野観音堂は坂上田村麻呂が舞を奉納したところとして知られています。



暴れ川の吉野川を渡り、最後に吉岡東官衙遺跡へと向かいました。今は工場や民家が林立しかつての面影など一切ありませんが、一角だけ空き地となっているところがぽつんとあり、そこが「吉岡東官衙遺跡公園」になっていました。遊具などはなく、歴史を伝える場所として設置しているようでした。公園内には、規則正しく盛り土されたところがいくつかあり、かつての建物があった場所を指し示しています。また、この遺跡は「一里塚遺跡」とも呼ばれており、近くには一里塚公園という公園もありました。



ということで今回はこれで終わり。
次回の開催は3月17日(火)、色麻町まで10km以上の長い道のりとなりそうです。
