設立に至るまで

一般社団法人タンコーカナリは、2021年に宮城県の利府町という小さな場所にできた小さな法人です。代表の石井が利府町に移り住んで数年経ち、すっかり利府のことが好きになり設立にいたりました。

利府というところ

さて、利府町というところは、全国的に言えば無名なところでしょう。しかし、仙台や松島、多賀城、塩釜といった地域と隣接し、時代に応じて多賀国府や宿場町として機能しました。和歌の歌枕にも「十府*の菅薦」と詠まれ、都人にも親しまれていた場所です。古代は今よりもっと全国区だったかもしれませんが、大きなイベント会場やオリンピックでも使われるサッカー場があるなど、今でも全国から人が集まる場所でもあります。*十府は利府のこと

最近大東建託が行った「街の幸福度」ランキング*では、利府町が東北で10位になりました。実際、街の中心には大きな商業施設やふらっと立ち寄れるカフェなどが豊富で、生活するのに便利な場所です。また仙台には車で30分、電車で20分で行けるアクセスの良さも魅力です。*2022年度の調査

利府の良さは利便性だけではありません。利府をぐるっと回ってみると、県民の森や湖沼があり、太平洋には美しいリアス海岸があります。人口が増え、宅地造成として山が削られている現状はあるものの、海や山、川や田といった美しい景観が保たれている場所でもあります。その他にも、大きなコンサート会場やオリンピックでも使われたサッカースタジアムがあったり、鉄道好きなら誰でも行きたい新幹線車両基地などがあります。利府の良いところを挙げるとキリがありませんが、利府には面白いところ、見るべきところがたくさんあり、ここで何かしたいなという気持ちが強くなっていきました。起業に至ったのは、そういった経緯があります。

スポーツと社会

私は2015年から2020年まで宮城県のプロ野球団に在籍していました。プロスポーツが引き起こすインパクト、ダイナミック性を身近な場所で感じることができました。プロ選手のレベルの高いプレーが引き起こす球場のどよめき、勝つか負けるかといった張り詰めた場面での緊迫感、勝った時の喜び・一体感、それはすごいものがありました。また興行という点に目を向けると、一つの場所に数千から数万の人が集まり、そこに様々な雇用や生業が誕生し営まれているのですから、その事実だけをとってみても、これはすごいことです。プロスポーツが地域経済を回す原動力の一つになっていることは間違いなく、ありきたりですが、すげーなぁと思っていました。

一方で、一部物足りなさも感じていました。それは、社会には様々な解決すべき課題がありますが、それにスポーツを通してもっとアタックできたらいいのになぁということでした。子どもの相対的貧困、学力の問題、移民の問題、医療費の問題、その他様々な問題が社会に噴出していますが、一見スポーツと直接関係していなくても、スポーツの分野からアプローチできることがたくさんあるのでは感じていました。自分自身いつになるかは分からないけれど、もし独立するようなことがあれば、そのような問題に取り組みたいなぁと考えていた次第です。

コロナとリスク社会

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2020年9月、私は上述したプロ野球団を辞めました。2020年といえば、コロナが始まった年です。それに付随して始まったのが、ニューノーマルという新しい生活様式でした。マスクの着用、手指消毒、ソーシャルディスタンス、、、こういった対策には「自分自身だけでなく、大切な周りの人を守ろう」という美しい言葉が付言されました。しかし、有体に言って、こういった対策は、隣の人を危険なものとして見立てる対策です。「お前、汚いからこっちに寄るな」ということです。信頼を前提としたコミュニケーションのあり方から不信を前提にしたあり方へ。これをニューノーマルとする社会を皆さんはどう見るでしょうか。

またリスクについても一言付け加えたいと思います。人は常に何かしらのリスクにさらされているものですが、この感染症に関しては一ミリたりともリスクを許さないぞといった傾向が顕著です。極端な例でいえば、初期のころには町に一人も感染者を出させないといった空気があり、実際感染してしまった人が差別を受けたり自殺をしてしまった例がありました。感染症なのだから感染するのは当たり前なのに、そういった過剰な空気を醸成してしまったのは全て私たち大人の責任です。私たちは一人ひとりもう少しそのことに自覚的であるべきですし、リスクを許容しない社会がいかに恐ろしいかということを考えるべきです。猿はリスクを負って地上に降り立ち人間に進化したのです。リスクを許容しない社会に発展はありません。常識的にリスクを許容し、通常通り社会を回す。私はただそれだけを願っています。

みちのく潮風トレイルを歩く

東北太平洋沿岸部、青森県八戸市から福島県相馬市までを一本の道で繋げた全長1,000kmを超える「みちのく潮風トレイル」という歩く道があります。私はこのトレイルを前職を辞めたあとに歩きました。1,000kmの道をただ歩くだけですから、何か特別なことがあったわけではありません。しかし、約一か月半歩いていると、意外といろんなものに自分自身が感動していることに気づきました。それは人との出会いだったり、震災の遺構だったり、松間からぱっと現れる三陸の海だったり、体力的なことだったり、自分の人生について考えていることだったり、本当にいろんなことなのですが、歩きながら単純にいい時間を過ごしているなぁと感じていました。

歩く側から見ると、歩いている私はどこまでも主体的な存在です。もちろんルート自体は決まっていますが、ルートを外れたからといって怒られるわけでもありません。どの道を選ぼうが勝手です。今日歩くか休むか決めるのもあなた次第だし、何を食べるかどうかもあなた次第です。出会った人の優しさに甘えるのも、ストイックに拒否するのもあなた次第です。トレイルハイキングとは、歩くという単純行為の中に、連続して自由な精神活動が引き起こされるものだと思いました。

また地域側から見ると、歩くスピードだからこそ、長い時間その地域にとどまってくれる旅行者の有難みに気づきます。その地域のおいしいものや美しい自然、郷土の歴史などを知ってくれるいい機会になりますし、そこでの人との出会いや経験が深ければ深いほど、歩く旅行者はその地域に愛着を覚えます。従来のように、観光客を30~40人とバスに詰めて、いわゆる観光スポットを巡らせる観光のあり方とは違い、一人ひとりが味わう体験の深さにスポットを当て、金ではなく人に光を照射する、そのような新しい観光のあり方をトレイルは提供できるのではと気づきました。

起業と「子どものスポーツ格差」問題

こうして歩き終えてから約一年後、私はタンコーカナリを設立しました。利府にみちのく潮風トレイルのようなトレイルを作りたいという想いを軸にやり始めましたが、2022年2月あるニュース記事が目に留まりました。それは「子どものスポーツ格差」問題です。「子どものスポーツ格差」とは、世帯年収の差によって子どもの運動機会に差が生じ、そのせいで運動能力にも差が出ているぞという問題です。さらにやっかいなのは、それが学力や社会性の発達にも関係がありそうだということです。大修館書店「子どものスポーツ格差」を書いた清水紀宏さんは、これは「許される差異」ではなく「改善すべき格差」だと述べていますが、私も賛成です。こうしてスポーツの分野でお世話になった私にとって、どんな子どもでも楽しく遊べる環境を整えることが一つの目標になりました。そんなことを思っていた時に、ドイツ発祥のボール遊び「バルシューレ」を知り、これを通してこの問題に取り組もうと思いました。

最後に

法人名となっているタンコーカナリの由来は「炭鉱のカナリア」という英語の慣用句*から取りました。20世紀前半、アメリカやイギリスの炭鉱夫は、カナリアを籠の中に入れ鉱山の中に入ったそうです。坑道の中は深く入れば入るほど、不意に有毒ガスが発生します。その異常をいち早く感知するカナリアは突如鳴き止んだり大人しくなったりするので、結果的に人間に危険を知らせることになりました。こうして「炭鉱のカナリア」という言葉が慣用化され、「警告を発する」「危険を知らせる」「いち早く察知する」などの意味となりました。この法人を設立したのはコロナ禍においてでありますが、先ほど述べたように、信頼を前提としていた人間関係がひっくり返り、寄るな、触るなの時代に生きています。これまで大切とされていたものを一瞬のうちに手放し、怪しげな新たなものへと手を伸ばそうとしてます。私たちは、そういったことへの警告を発し続けるとともに、事業を通して、傷ついてしまった社会の回復に向けて取り組んでいきたいと考えています。まだまだ始まったばかりで頼りない法人ですが、温かく見守っていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。 *canary in the coal mine

2022年冬 HP改修の折に 石井

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