東山道をゆく⑪ 国分寺から燕沢善応寺

レポート

10月21日(火)、東山道を歩く11回目を行いました。今回は国分寺薬師堂から燕沢の善応寺までの約8kmです。

20251021 東山道_国分寺から燕沢善応寺 / 利府トレイルプロモーションさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ

9:30薬師堂を出発。まず「東街道」を通って、榴岡方面へと向かいます。道中、聖ウルスラ学院幼稚園の交差点や西友宮城野原店前の歩道には、「東街道」を指す辻標などを見ることができました。

辻標42番「東街道/木ノ下」
ここにも東街道。騎兵第二連隊はこの辺りにあったらしい

榴岡公園には平日なのにたくさんの人が。数年前まで近くで働いていたのに、あまり行ったことがなかったので驚きました。普段から住民の憩いの場となっているんですね。
ここは奥州合戦時の藤原方の拠点となった「鞭盾」があった場所と比定されています。

公園は宮城野原の平野にぽこっと突き出る台地上にあります
仙石線が地下化される前には、たくさん踏切があったみたいです。知らなかった…

榴岡公園を出て向かったのは、宮城野八幡神社です。銀杏町の由来となった乳イチョウで有名なところ。

坂上田村麻呂、源義家、北畠顕家…、有名どころと関わりの深い神社
樹齢1200年といわれる乳イチョウ。2m以上垂れ下がってます驚!
仙台育英が甲子園を優勝した記念板も

国道45号線を渡り、原町本通りと交差するところには、「原町苦竹の道知るべ石」がありました。石の四面にはそれぞれ「西 御城下 二十六丁/南 長町 宮城野いてふ道 嘉永六年七月日/北 塩かま松島 六里十五丁 三里十九丁/東 八幡八まん 七はま 二里十六丁 四里廿四丁」と書いてあります。私たちは北の塩釜松島方面へ、「松原街道」という愛称で親しまれている道を行きます。県道8号線(仙台松島線)とぶつかるまでの450mほどの道のりには、いくつも立ち寄りたいポイントがありました。

道しるべの石
松原街道の愛称は令和3年に決まったようです
Wさんの案内で向かったところ。雷神碑や道標など、様々な石碑が建っていました
オープンしているのか恐る恐る声をかけた松原豆腐店。納豆も三角揚げもおいしかったーと報告が来てます
朝日地蔵尊。お堂の中にお地蔵さまが安置されていました

県道8号線により分断された塩釜への道は、少し迂回をして進まなければなりません。私たちは仙台ガス局の方へ向かって進むことにしました。東北新幹線の高架をくぐると左に見えてきたのは、、、飯屋!みんなで「食べよう!」ってことになりました。食事をした一歩亭にはひっきりなしに多くの人がやってきていましたが、ほとんどガテン系の人ばかりで、ちょっと異質な空間がおもしろかったです。

元々の道は向こう側へ続いていました。今は半地下を走る県道8号(写真手前を横に走っている道路)により分断
高架下の繁華街?!知らない人も多かったです
量が多い!そしてうまい!

食事をした後は、県道8号線に沿って北東へ進み、午後2時過ぎ無事善応寺に到着しました。善応寺がある台原・小田原丘陵の南面には飛鳥奈良時代の横穴墓群が分布し、多賀城に瓦を供給していた大蓮寺窯跡も見つかっています。といっても、大蓮寺窯跡の方はいろいろ探し回りましたが、見つけられませんでした。

かつやの曲がり角に「蒙古の碑 入口」。年季が入っています
善応寺の竹に雀紋。伊達家の家紋のひとつ
なんで仙台に蒙古の碑があるんでしょうか
善応寺の横穴墓群。境内の西側、柵を入って行きました
形がしっかりしていて、横穴墓のイメージがより具体的になりました

今回の旅はこれで終わりです。仙台のIさんが初参加してくれたり、想定外のお店を知れたり、歴史以外の部分でもとても楽しい一日となりました。

次回は11月18日(火)、善応寺から利府を目指します。
一緒に歩いてみたい人は、こちらからどうぞ!

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