6月7日、「歩いて辿る塩釜・鉄道クロニクル」を開催しました。今から30年ほど前まで存在していた塩釜線の廃線路跡をたどりながら、残された鉄道遺構や写真などを確認して、塩釜線の歴史を振り返りました。

塩釜線というのは、仙台から最も早く引かれた路線でしたが、後に東北本線(後の山線)、仙石線、東北本線の海線(現在の東北本線)が引かれると、多かれ少なかれその影響を受けた路線です。それは駅名の変更や路線の拡大・縮小などに見てとれ、それ自体が面白いのですが、ここでは割愛します。
当日は近隣の市町村から多くの方が東北歴史博物館に集結。国府多賀城駅の脇から出発しました。ちなみに、国府多賀城駅は塩釜線が走っていた時代にはなかったので、塩釜線とは関係ありませんが、塩釜線は国府多賀城駅を通過する現・東北本線の路線とほぼ平行して走っていました。ルート図にあるように、ここから少し行った高崎跨線橋辺りで分岐していたようです。


高崎跨線橋からは現在の東北本線の線路や塩釜線のレール跡がのぞけました。また歩道からは角度次第で、多賀城南門も確認できました。


上からのぞいた後は、実際にその場所に行ってみましょう。一旦来た道を戻り、住宅街の道路を通って向かいます。




下の写真に写っている線路跡は、日ごろ近所の人たちの散歩道となっているようで、当日も何人かとすれ違いました。ただ放置されるだけでなく、使われていることがいいなと思いました。さて、この道をしばらく行くと、野田の玉川とぶつかります。塩釜線が通っていたときは、川にレンガの橋脚を渡し、橋の上を通っていたようです。




最も勾配のある坂を越えると、JR仙石線の高架線路が見えてきました。昔は単線だったようですが、手前に見える高架線路が1981年につくられ複線になったようです。少し歩くと西塩釜駅に着きます。



西塩釜駅を抜けると、旧塩釜駅(現本塩釜駅)は目と鼻の先です。旧塩釜駅は、仙石線の高架をくぐって向かいます。


こうして、約5㎞の塩釜線歩きを終えました。当日は午前中のみの行程で、午後にたっぷりと時間が余るようにしたので、解散後も個別に塩釜を楽しんだ方が多かったようです。塩釜は歩いているだけでも楽しい街だし、ご飯もおいしいです。イベント同様、塩釜の観光も楽しんでいただけたら嬉しいです。
