東山道を歩こう!6回目は岩沼へ

レポート

昨年から続けている県内東山道歩き。福島県との県境から歩き出し、セクションハイクで歩き継ぐ。今回は槻木駅から竹駒神社を歩く。

朝9時、大河原のWさんと槻木駅で合流し、久しぶりの再会を喜ぶ。前回は体調がすぐれず辞退されたので、「体調大丈夫ですかー」なんて軽口を叩けるようになったのも、時間の蓄積を感じて嬉しい。

「大丈夫です」

「でも、昨日股関節を痛めました。今日は痛み止めを飲んで参戦します」

Wさんにとっては痛み止めを飲んでまで参加したいイベントなのだ。Wさんの心意気に打たれた。

そしてもう一人。KANAMEdesignsのヨッチさんが、東山道初参戦。ヨッチさんはどこに行っても楽しめる人。安心して一緒に歩ける。利府からの4人と合わせ、6人で槻木駅を出発した。

槻木駅とヨッチさん

槻木駅を東へ少し行くと、一度見てみたかった逢隈旅館があった。たぶん昔はうなぎの絵が電信柱奥の建物の壁に掲げていたはずなんだけど、なくなっていた。

この逢隈亭の脇を南北に通貫する奥州街道を真っすぐ行くと、「ここから小山渡し」を意味する道標があった。植え込みの木に隠れるように立っていたので自分だけじゃ絶対に見つけられないけど、道標マニアのWさんがいてくれたから大丈夫。ちなみに、小山渡しは、昔亘理と舟を渡していたところで、今では槻木大橋が架かっている。昔は阿武隈川を舟を使って渡っていたんだなぁ。

読めないけれど、Wさんが教えてくれた

それから街道を真っすぐ行って、国道4号線と交わるところで四日市場の一里塚跡があった。阿武隈川と接するこの場所は、洪水で堤防が切れると、千貫村、岩沼町、玉浦村まで全滅するので、ずいぶんしっかりと堤防をつくったと書いてあった。

ここから4号線の脇に入る。途中巨石で造られた青麻神社や蔵王山の石碑群に立ち寄り、そのままの流れで別の道筋を歩くことになった。道路の下には暗渠。暗渠には轟々と水が流れている。歩いているときからみんなでその水量に驚いていたが、後で調べて見るとこれは槻木用水と言うらしい。白石川の韮神堰から水を引っ張っているらしく、ここで改めて韮神に出会った。

四号線を渡り、阿武隈川の堤防沿いを行く。この道はほぼ間違いなく東山道以来の道で、江戸時代の奥州街道としても使われている。となると、古代から近世まで、ずっとメインロードとして使われていた道なのだと思う。

境界標

美しい水田と千貫山をバックに建っていた千貫村と槻木村の境界標を越えると、南長谷という地区に入る。ここには古代玉崎駅家があったと考えられている。阿武隈川対岸には亘理町三十三間堂官衙遺跡があり、古代の亘理郡衙だった。阿武隈川を舟で渡し、東海道と東山道が交わる交通の要所として機能した。江戸時代は阿武隈川を使った水運で栄えた玉崎問屋・渡辺家があった。渡辺家は御城米方御用という御城米の保管・管理・運送を手掛けたそうだ。

阿武隈川の堤防に立つ

渡辺問屋を越えると、道端で草取りをしていた老婦に声をかけられた。

「お茶っこ寄ってけ」

勧められるままに付いていくと、たくさんの逸品料理をごちそうになった。ふきの醤油炒めやタラの芽のみそ炒め、さつまいも、いぶりがっこ?、全部おいしかった。周辺の歴史については、渡辺問屋のことを聞き出すことができた。感謝でしかない。

それから千貫神社に立ち寄り、山腹の道をくねくねと進み、遠くから竹駒神社の鎮守の森を眺めたり、女竹をとったり、ラーメンを食べたり、横穴墓群や二木の松を観察したり、いろいろしてようやく竹駒神社にたどり着いた。

竹駒神社もついて終わりではなく、境内を結構くまなく歩いたから帰路につくときには15時を周っていた。ぼくのYAMAPが正常に働いてくれなかったから正確な距離は分からないけど、ヨッチさんいわく12~13kmになったそうだ。いつもこんなに寄り道をするんだから、今度からもっと短い道にした方がいいかもしれないな。今回も名ガイドのWさんの活躍と「やべー、おもしれー」といつも通りのヨッチさんが最高過ぎた。

東山道⑥ 岩沼 / 利府トレイルプロモーションさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ

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