雄勝を歩いてきました

先月のことになりますが、宮城県の雄勝(オガツ)地方を歩いてきました。

児童・教師合わせて84名が津波で亡くなった旧大川小学校から時計回りに「道の駅 硯上の里おがつ」まで、約40kmのみちのりです。これを三泊三日で歩いてきました。

一度みちのく潮風トレイルをスルーハイク(一気に全線歩くこと)した私が、なぜ”モウイチド”歩きにいったかというと、実は歩いていなかったのです。旧大川小学校の辺りからそのまま南下し、トンネルを通り、雄勝漁港がある方へ抜けたのでした。正直マップをちゃんと見ていなかったのが原因ですが、青森から歩いてここら辺まで来ると、「いつでも来れるからいいや」という打算的な気持ちが働いて、ルートをあまり重視していなかったのです。で、それから二年半、そのやり直しにやってきました。

旧大川小学校の敷地内には新しく伝承館が建っていた

視察を兼ねて

加えて、雄勝を歩いたのにはいくつかテーマがありました。
一つは、現在進めている「利府トレイルプロジェクト」の下見を兼ねていたということです。現在のところ、利府トレイルは75kmほどになりそうで、二・三泊の旅がどのようなものか身をもって知っておきたかったのです。これは大成功でした。みちのく潮風トレイルのように1,000kmもある長いトレイルは俗にロングトレイルと言ったりするのですが、利府トレイルのように100kmにも満たないトレイルはとてもロングトレイルとは言えず、「長ければ長いほど良い」の”定説”に反します。しかし、距離の長さの善し悪しは本来人それぞれに委ねられていいものです。今回40kmしかない短い旅でしたが、私自身十分雄勝を楽しめました。利府でトレイルプロジェクトを進めている私にとっては、自信にも繋がる視察になったと思います。

キャンプ場はなくても

また、下見で言うと、キャンプ場がないトレイルは楽しめるのかという問題意識もありました。今回雄勝には公式にテントを張れるキャンプ場がないので、別の手段で夜を越さなければならないのですが、四阿に寝袋をひいて寝たり、みちのく潮風トレイルサポーターズ(※1)が提供している場所に泊まったりしてやり過ごすことができました。これは利府トレイルにとっても大きな示唆を与えてくれます。利府には森郷キャンプ場というキャンプ場はあるのですが、現在のところコテージ泊のみの利用になりそうです(※2)。つまり野営好きにとっては今一つ魅力の欠けるトレイルになる可能性があります。しかし、今回四阿やサポーターズを体験したことで、その部分の視野がパッと開けました。最近気になっているハンモックにも可能性がありそうです。
※1 みちのく潮風トレイルの理念に共鳴してハイカーをそれぞれの形でサポートしている
※2 森郷キャンプ場は現在リニューアル改装中

初めての四阿泊。車一台通らないところで、解放感が半端なく気持ちよかった
二宮勇太郎さんの「HAMMOCK for HIKING」。利府トレイルに相性が良さそうだ

サポーターズ

三つ目はサポーターズの存在です。上記※1でも説明していますが、みちのく潮風トレイルには、みちのく潮風トレイルの理念に共鳴して、各々の形でハイカーを支援している人たちがいます。その支援とは、たとえば、スマホの充電をさせてくれたり、トイレを貸してくれたり、テントを張れる場所を貸してくれたり、宿泊施設で言えばハイカー向けのプランを用意してくれたり、と様々です。そのような人たちがいるおかげで、ハイカーは陰に陽に助けられ、みちのく潮風トレイルの歩く旅がより一層充実するものになっています。

今回はモリウミアスという閉校した学校をリノベした体験施設とハイカー民泊 m.s.s.booksさんにお世話になりました。モリウミアスは校庭にテントも張れるのですが、校舎の隣に離れがあって、そこがきれいな畳敷きの休憩スペースになっていました。玄関の引き戸を開けると土間になっていて、簡易なキッチンやトイレが併設、畳には靴を脱いで上がります。寝床にこだわらないハイカーにとっては天国のような空間でした。また、m.s.s.booksはハイカー向けに提供されている民泊で、こちらも別料金でテントが張れます。居間には大きな書棚があって、作家で写真家でもあるオーナーさん(実は知人)の作品集やトレイル関連書籍が並べてありました。一緒に夕食を作るスタイルなどは、旅中であっても一時普段の生活の場に戻るような不思議な感覚がありました。ちなみに、m.s.s.は住所の「味噌作」だそうです。

モリウミアスには昔の卒業アルバムや文集が配架され、当時の学校や地域の生活の様子がうかがえた。ぜひ読みたい
ハイカー民泊 m.s.s.books。みちのく潮風トレイルを歩いたことがきっかけで移住してきた
山菜たっぷりの夕食。おいしかった!

地域に入り込む面白さ

最後に、以前は気にもならなかったものが、今になって気になりだしたということもありました。みちのく潮風トレイルをスルーハイクしたときは、雄勝に関する関心事は何もなかったのですが、あれから二年半経って、雄勝石のことや伊達政宗が派遣した慶長使節団が雄勝から出帆していたという考え(※3)を知り、俄然興味が出てきていたのです。今回のように、ある区間を何日かけてという歩き方はセクションハイクと言いますが、歩く前にその土地のことを調べる時間が多く取れ、スルーハイクのように「流れゆく旅」とはまた違った面白さがあると認識しました。しかしこれは、セクションハイクかスルーハイクかといった違いではなく、ある一つの土地を歩く歩き方に起因するものと思います。雄勝のセクションハイクは雄勝を愉しみ、利府トレイルはスルーハイクであっても利府を愉しむ、そういった地域の中により入り込んでいけるトレイルの魅力を今回十分に感じることができました。
※3 遠藤光行著「『つきのうら』の真実」(蕃山房)では慶長使節団が出帆したのは牡鹿(オシカ)であるという定説に異を唱え雄勝だとした。

オガツ硯も少し興味を持つと、途端に面白くなるのが面白い
雄勝には僻地だからこその歴史の展開があった

終わりに

さて、利府トレイルは今後どのようになっていくでしょうか。トレイルを通して地域の魅力を再発見すること、トレイルを通してサポーターズのような「心遣い」の精神を醸成できるかどうか、トレイルを通して町内外の人の移動を促し風通しのいい街にすること、トレイルを通して子どものより良い成長に寄与できるかどうか、こんなことを考えながら日々過ごしています。今回の雄勝旅はそんな想いを改めて確認できた旅となりました。

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